突然「君って何者にもなれなさそう」って言われた話

をします。

 
わたしはたくさん趣味がありまして、中でも夏と冬のお祭りに代表されるアレな場でアレをアレするのが中心なのですが、そのような活動をしておりますと、良くも悪くも色々と言われるものであります。
特にわたしの場合、活動ジャンルが二次ではなく一次。いわゆる創作ジャンルですので、人によっては承認欲求の権化と決めてかかってくる人もしばしばです。
 
そういうわけで某イベント後しばらく経ったある日、ついったーにて、突然見ず知らずの方から表題のようなことを言われまして、すごい!クソリプはほんとにあったんだ!などと驚きもしたわけですが、しかし「何者にもなれない」って何なんですかね。
文意としてはワナビに対する煽りなのだなと理解しているのですが、フレーズとしては真っ先にピングドラムを思い出します。
まぁ別にピンドラは関係ないし、いちいち相手するのも不毛なので無視したんですけど、なんとなく「何者かになる必要があるの?」ということだけは訊いとけばよかったなーと今になって思うのでした。
 
昔、西尾維新がどこかで「変わりたいって気持ちは緩やかな自殺だよね」みたいなことを書いてたのを今でも覚えています。
そこまで強迫的な願望を抱えてる方がレアケースだとは思うんですけども。
それはそれとして、わたしは全てのアマチュアがプロになるために修行しているわけではないし、誰もが何者かになりたいわけではないと思っています。
むしろ大抵の趣味はリアルな自分と折り合いをつけて程々の温度感で楽む方が多勢なのではないかと思うのですが、これがクリエイティブ方面となると途端に熱量が増大する風潮はやや不思議なものがありますね。
何にせよ、必ずしも表現者が皆一様にワナビ願望的なるものを抱えているわけではないので、心に留め置いて頂ければ幸いです。
 

鶏肉が嫌いだった話

をする。

 
幼少の頃、わたしは鶏肉が嫌いだった。
あの何とも言えないトゥルッとした食感とか、皮のぶよぶよして噛み切れない感じとか、とにかく口の中で感じる味以外の何かしらが駄目だった。
いつ飲み込んでいいのかわからないのだ。そして噛めば噛むほど不味いのだ。今となっては食べられないこともないけれど、しかしやはり鶏皮は好きではない。
 
特に苦手だったのが、母の得意料理である骨つきチキンの照り焼きのような何かだ。
甘辛くトロみのあるソースにまみれた骨つきチキンは、食べづらさと言い食感と言い、とにかく最悪の相手だった。
そういうわけで、わたしは嫌々それを食していたのであるが、ある時、どうしても我慢ならず、こいつを食べずに済む方法は無いものかと悩み抜いた末、このようなことを言ってみた。
 
「母よ、わたしは食卓に並ぶために殺される鶏がかわいそうに思えてならないのです。それ故、鶏肉を食べたくないのです」
 
すると母はしばし考え、このように返した。
 
「なるほど。では貴様がこれを食べぬことで鶏肉はかわいそうではなくなるのか?」
 
わたしは答えることができなかった。
何せ食卓に並ぼうが並ぶまいが、食べようが食べまいが、鶏肉は鶏肉であって、生きた鶏ではないのだ。
母は続けてこのように言った。
 
「鶏は生き物であろう。しかし鶏肉となればそれは食物である。食物にとって最もかわいそうなことは、それが食べられず捨てられることに他ならぬ。かわいそうだと思えばこそ、食べねばならぬのだ」
 
わたしはその言葉に痛く感激したのだった。
思えばわたしは不誠実だったのだ。ただのわがままに何となくそれっぽい理由を取ってつけ、母を欺こうとしていただけではないか。
誠実になろう。素直になろう。わたしはそう決意し、母に告げたのである。
 
「ちゃうねん、これめっちゃまずいねん」
 
 
その後どうなったのかはあえて語らない。
時は1990年代半ば。片田舎の団地では、毎夜どこかしらで家から締め出された子どもの泣き声が響いていた。
そんな時代の話である。
 

はてなのまったり側で生きていく

はじめましての方ははじめまして。わたしです。
名前はとくに決まってないです。

数年はてブでブクマ専をやっておりましたが、はてなでブログを書くのは初めてです。よろしくおねがいします。
何故いまさらブログをこしらえたのかというと、これ。これですよ。

 

2ちゃんヤフーと対極 「はてな」のまったり感

http://mainichi.jp/premier/business/entry/index.html?id=20151009biz00m010014000c


まじかよはてなさいこうだなと思ったのですよ(タイトルしか見てない)
わたしははてなのまったり側で生きていく。生きていくぞ。

ところで、はてブを常用していると度々「はてな村」なる限界集落の話を見聞きします。
その度にこわいなーこわいなーと思い、ブログをやるならアメブロにしよ☆と思っていたわけですが。そして今のいままでブログサービスなんて使ったこともなかったわけですが。
はてなに光あふれるまったりサイドがあるというなら、それこそがわたしの居場所なのではないかと、そう思ったわけです。
あ、はてな村が血で血を洗う世紀末無法限界集落であるというならアメブロなんて金メッキだけで出来たピラミッドみたいなもんだなと思ったけどこの話これ以上広がりそうにないからまたいずれ。
はてなのまったり側に居を構えることにしたわたしには関係のないものですが、なんでも村民は手斧を持ち歩いているとのことです。
きっと熱心に薪でも作っているのでしょう。それで何を燃やすのかは、はてなのまったり側であるわたしの預かり知るところではありません。
全然関係ありませんけど、火は人類文明の根源ではないかと思います。眺めていると心が落ち着き、どこか安らげる不思議な魅力がありますね。

ところでブログって何書けばいいんでしょうね。